ぬじろぐ

好きなゲーム発表ぬこちゃん

鬼滅の刃を全巻読んだ

読みました。アニメは見てて、原作未読だったんだけど無限列車編を見に行くから、じゃあ読むかと…
それで映画見る前に無限列車編の前まで買って読んで、当日映画館行ったらいっぱいで追い出されて(予約とか存在しない映画館)
泣きながら帰ってきて全巻ポチった←いまここ

なんとなーく思ったことなどを、思いついた順に書いていきます。

  • 古の少年漫画の基本をすごいやってくるね…(ダイの大冒険で育った世代)修行で岩割りとか今の時代もやってるんだ…
  • 死人が喋りまくる漫画だ。まあ鬼の存在自体死人みたいなもんであるが
  • すっげえ兄弟姉妹間の巨大感情ぶつけまくってきますね、この漫画
  • ずーーーっと兄弟(兄妹、姉妹)の話してる…
  • キャラ同士の対比もめちゃくちゃ徹底的にやってくる これ好きな人はメギドもおすすめ
  • 最初、これ1話だけ読んだら読まなくなってただろうな…って思ったけど、だんだん「漫画」がうまくなる*1 遊郭編あたりですごく「あっ漫画がうまくなってる!」と思った
  • 炭治郎が無一郎に言ってた「人のためにしたことは巡り巡って自分のためにもなる」って、1話からそうなんですよね、この作品の中では
    • 炭治郎が優しいいい子で、町のみんなに慕われて頼りにされてたからいろいろ用事を頼まれて、それで帰るのが遅くなって、気にかけたお爺さんが家に泊めてくれて…っていうのがなかったら炭治郎は家族と一緒に鬼にされてたか殺されてたかして1話で終わってたんですよこの話。

炭治郎は教育に良いのか

面倒見がいいとか優しいとかすごくいい子であるのは確かなんだけど、ああいう子に育ってほしいってのとはちょっと違うんだよな…彼は早く大人にならざるを得なかった子供だと思ってるからさ…過剰適応気味というか。自分は長男だからって自己暗示かけて頑張ってるわけだし。その辺は時代背景もあるんだろうけど。
そういう背景あるのがわかってると、夢で死んだ家族に責めさせるとか「ゆ、許せねぇ〜〜!!」になるよね。
炭治郎には嘘が通じないので効かないんですが。
これも最後までやってくるんだもん、徹底してるよ。

炭治郎は「自己肯定感がめちゃくちゃ高い」のか?

炭治郎は自己肯定感が高いって話、一言で言えばそうなのかもしれない。
他人からの肯定を素直に受け取ることができるっていうのは、ある程度自己肯定感がないとできない事だと思うから。
でも、単純に「自己肯定感が高い」というのとも少し違う気がするんだよなー
あと嘘が通じない、匂いで人の気持ちがわかるっていう特異体質のせいで自己肯定感が高いように見えてるだけの部分あると思うんですよ。
実は自己肯定感がそこまで高くないんじゃないか?と思うシーンもちょいちょいある。

自己肯定感が低そうなシーンを挙げると、
・「俺は長男だから頑張れる」の謎理論を持ち出す つまり長男という役割と自分自身の存在意義がごっちゃになっている部分がある。
・全部自分のせいだと思ってやたら頑張ってしまう。
この辺りに関しては夢の中で禰津子にも叱られているので、自覚があるのかもしれない。
自己肯定感高そうなのは
・お前が死ねばよかったのに→「言うわけないだろ、俺の家族が」と言い切る
・無惨にお前だけ生き残るのかと死んだ者に恨まれてるぞとか言われても、そんなこと言う人たちじゃないとやはり一片も疑わない。
自己肯定感低かったらここで「そうだ、俺が死ねばよかった」になる。実際、義勇はそうなった。
でもこれは嘘が通じない特性のせいも大きいので、自己肯定感の高さによって根拠もなくそう信じているわけではないんですよ。

微妙なのは謎理論で自分を鼓舞するところ。
「俺はできる、俺はくじけない」これって本当はできないかもしれない、くじけそうだから言うんですよね…
まあ、自己肯定感劇強っていうよりは自分を励ますのがうまい普通の人間ですね。

いきなり矛盾するキャラになるのは
・作中で炭治郎が精神的に成長したり凹んだりするので場面によって強度が異なる
・炭治郎は非常に鼻がよく、匂いで相手の気持ちが分かってしまうため、自己肯定感が低い人間が陥りがちな罠にはあまりひっかからない
あたりが原因か。
少なくとも、序盤~中盤の自己肯定感はそこまで高いわけじゃない。と思う。
しかし、長男意識により責任感が強く頑張れるだけの心の強さは持ってしまっていて、自分の能力も正しく把握できる。
自己肯定感がちょっと低、自己評価正常、他者からの評価も正確に把握しているタイプというか。
無理やり自分を鼓舞しているのが「自己肯定感高い」に見えてしまう。
さらに鼻が良いから変な思考に陥らないので、自己肯定感低い面が表に出にくい。
あたりじゃないかと。

自己肯定感低いって具体的にどういう思考になるというと、人からの評価が過大だとか、口では良いように言ってるけど本当は嫌われてるんじゃないか、迷惑だと思われてるんじゃないか みたいな事をいちいち考えてしまうってことですよね。
人から肯定されても受け止められないというか。
でも、匂いでわかるなら本当は嫌われてるんじゃないか?とか疑いようがないんですよね。

逆に善逸はそれが悪いほうに働いて自己肯定感がひたすら低くなっちゃった感じかなぁ。
全部音でわかっちゃってるから、それを否定したくて聞こえる音を無視して自分の信じたいものを信じる癖がついてしまったんじゃないかと。自分の耳を信じればよかったのに、それができない。
だから自己評価も正しくできてない。

富岡義勇の「俺は嫌われてない」も自己肯定感劇低人間としてはおかしいように思えるけど、実際はあれも「自分は柱としてふさわしくないから、同列に考えてもらえるほどの存在じゃない(だから嫌われてるとかも無い)」くらいの意味ではないか?
あの時点だと読者の側も義勇の性格よくわかってないから、作者もわざとやってるんだと思うよ…

炭治郎の夢

煉獄さんほど現実を受け入れられているわけではなく、家族が殺されたことについてはまだ消化しきれていないのかもしれない。
そりゃそうだよ、いくら人間ができているとはいえ自分は長男だから我慢できるって強がらないとくじけそうになる、まだ15の子供だもんな…
逆に言うと、お父さんが夢に出てこない=お父さんが亡くなったことは本人の中で受け入れられているのかもしれない。

炭治郎の発言で長男教がネタにされがちだけど、私が一番しんどいなと思ったのは一話の「俺が全部ちゃんとするから」です
アニメで声がつくと更にしんどかった。こんな子供にそんなことを言わせるなんてひどいアニメだ でも残念なことに私は闇のオタクも併発しているので、ううっかわいそう…と思うと同時にヒィーたまんねえと思う心も持ち合わせてしまっているのであった
本当に残念だよ自分の心が…

まじめな話すると、実は炭治郎は現実を正しくとらえて、それを受け入れ肯定する力はある代わりに、想像力・創造力には著しく欠けてるのでは?と思うんだよね
・嘘をつけない
・夢は無理やり見せられた悪夢を除いてすべて過去の記憶の再生
善逸と伊之助の夢から考えたら、もっと都合のいい夢を見てもいいはずなんですよ。
お父さんは健康で生きてて、家族も元気で、家はお金に困ってないし禰豆子にもきれいな着物を買ってあげられる、善逸は駄々をこねないし頼りがいのある仲間で伊之助も暴れないし…みたいな。
でもそうではない。
まあ、煉獄さんもいわゆる都合のいい夢ではなかったから、単に意志の強さ的なものが反映されるのかもしれないけど。

善逸は反対に完全に都合のいい夢ですよね。
彼は竹轡を外しておしゃべりできる禰豆子に会ったことがないはずなんですよ。なのに夢の中では人間の禰豆子とキャッキャウフフしている。エピローグでは勝手な設定のライトノベルを書いている。
現実を見たくない代わりに想像力が豊かなんでしょうね。

*1:単純な絵の上手さなどではなく「漫画がうまい」としか表現できないものがあるのです