読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ぬじろぐ

メモです。議論やコメントは受け付けておりません。当方オタクの女ですので、唐突に腐ったりします。注意。

風の谷のナウシカ(原作)感想まとめ

感想

http://www.fan.hi-ho.ne.jp/ainoura-k/rennsai/nausikaframe.htm
ナウシカ考察(長い!)が面白かったので。考察ってほどではないけど色々ぐだぐだ考えてみた。
上記リンクは原作ネタバレなので、原作未読の場合はお勧めしない。
ナウシカ原作も映画も、すごく日本人的だなあ、という感想だった。素直に読めないというのはちょっと悪い癖だ(´・ω・`)ショボーン
収拾がつかなくなるのでちょっとカテゴリ別に分けてみた。

自然に対する考え方

木々や動物、蟲、つまり自然と人間を同列に扱うことはとても日本的。更に言うなら東洋的な考え方。木で作られた家は、廃墟になった後は腐って新たな苗床になり、やがて森に還る。
対して、人間は自然を超越した存在であり、人間は自然を管理することができるという考えは西洋的。石で作られた家は人が住まなくなってもいつまでも残る。自然に還ることもあるだろうが、長い時間を要する。

善悪に対する考え方

善と悪がはっきりしている一神教と、両者が曖昧な多神教。宗教がよく分かりやすいと思う。
一神教キリスト教を例に挙げる)では神は常に善であり、正しいもの。また、神は唯一にして絶対であり、全ての創造主である。魂があるのは人間だけ。人間は神様が作った特別な存在であり、その他の動物は人間の糧とするために作られたもの。
悪いものは全て悪魔の仕業であり、悪魔祓いは今でも行われてたりする。悪は神と正義の名の下に駆逐するべきものとして退治される。
人間は生まれたときから罪を背負っており、労働は罰という考え方。
多神教の日本では、草も虫も動物も人間も、全てのものに魂が宿る。時には物であっても魂が宿り人格を宿す。更に長いときを経ると神様になってしまう。この神は一神教の神とはほとんど別物で、唯一絶対の神は存在しない。神様は穏やかな面も荒々しい面も持っていて、きわめて人間的であり、怒ったり泣いたり喧嘩をしたり間違いを犯したりする。
神様も農作業をする。労働は尊いものという考え方であり、農作業や機織は「神事」としての側面も持つ。
現在では悪い意味でとられる「祟り」も、元は「神の現出」を表す文字であって、そこには善も悪もない。
人間に害を及ぼす大怨霊さえも、丁重にお祀りして鎮めようとする。または、祀ることで別の怨霊を封印するために使おうとする。怨霊としての力が強ければ強いほど、強力な封印になる。そうして祀られるうちに、本来の意味が逆転して普通の守り神様になってしまう。天神様なんかはまさにそれ。
ちょっと話が変わるのだけど、日本の最高神、太陽神は女性。
太陽神を一番位の高い神とするのは当時古事記を編纂した者たちの意図もあったのだろうけれど、農耕民族として最も納得の行く落としどころだったため、すんなり「アマテラスが最高神」ということで定着したという面もあるのではないかと思う。
また、女性神が太陽神で最高神というのもわりと珍しいんじゃないだろうか。他国の神話を見ると、男性=太陽、女性=月というものはよく見かけるが、逆はあまり見ない。これも当時の事情(天皇制の正当性を主張するため)があったためという説があるが、それでも女性が最高神というのは結構すごいと思う。
キリスト教なんて「父と聖霊と…」ですからね。母完全無視だもの。

むりやりまとめ

乱暴な分け方だけれど、大雑把に西洋(一神教)と日本(多神教)を分けるとこうなると思う。
さて、ナウシカは女の子。年齢的には少女なのだけれどど、印象としてはお母さんな感じであり、男性的な行動も見せる。
ハヤオはロリコンだとか何だとかしばしば言われるけど、こういう物語を描くにあたっては、やっぱり主人公は男の子ではなく女の子でなければいけなかったと思う。
映画版ナウシカはアスベルの存在感が妙に希薄ですが、これはヒロインもヒーローもナウシカだし、ナウシカは男の子に助けられる少女ではなくお母さんなので、男の子は必要ない(笑)
原作のほうはもうちょっと進むとまた状況が変わってきますけど。
王蟲の「全ニシテ個、個ニシテ全」という言葉、そしてナウシカの「命は同じ」=人間も蟲も森も同じであるということ。
すごく日本的な考え方。
命に目的はない、命は存在するだけで尊いものである。清浄と汚濁そのものが命。
正しいものだけが存在する、清浄な世界。それはいわゆる「天国」です。しかし、天国の描写ってそれだけなんですよ。綺麗な花が咲いていて、平和で、光に満ちた世界という、ただそれだけ。地獄の描写はいつももっと多彩で生々しくて具体的。人間の想像力は負のほうに働く。
キリスト教7つの大罪としているもの、「傲慢」「強欲」「憤怒」「嫉妬」「色欲」「怠惰」「大食」もしくは仏教にある「108つの煩悩」これがあるから人間は進歩してきたし、悩み苦しんで数多くの芸術を生み出してきた。
これらを全部取り去った、穏やかで争いのない、芸術のみを愛する人間だけが存在する世界は、一見天国のようだろう。でもナウシカはそんな人間を否定し、ヴ王も「そんなものは人間ではない」と言った。人間がそれだけの存在だったら、歴史は全部なかっただろう。芸術も生まれなかった。
つまり、そもそも芸術のみを愛する穏やかな人間だけの世界は成立しない。それ以前に、そんな人間は芸術を本質的に理解することさえできないかもしれない。そして、上位の存在に管理されなければ緩慢に滅んでいくだろう。そんなものは人間どころか命ですらない。
人間に飼われるためにおとなしい性格に作り変えられた動物だって、野生に還れば本能を取り戻す。人間も多分同じ。
これらが宗教によって忌むべきものだと厳しく禁止されなかったから、ないものにされなかったから、日本はこんな変態紳士国家になっちゃったんじゃあるまいか。下手に抑圧されず、適度に発散できるから比較的犯罪が少ないとか。それはいいすぎか。
動物が狩りをする映像を子供に見せたくないなんてのたまう親がいるんだよなぁ…びっくりしたわ。肉食獣は悪者で恐ろしい、食べられる草食獣は可哀想とか、残酷とか。
そんなのはエゴに過ぎないと思う。そこにいいも悪いもないし、綺麗も汚いもない。汚濁も清浄も全て内包しているからこそ、命はこんなにも多様で面白いっていうのに。

世界は美しくなんかない。そしてそれ故に、美しい。

これは『キノの旅』のサブタイトル。
世界と命をよく見てよく考えた人間は、結局のところここに行き着くのかもしれない。

余談

鋼の錬金術師』も舞台はヨーロッパをモデルにしているようだけど、とても日本人的な感覚で描かれている漫画だと思う。王蟲の言葉ととても似た言葉が序盤に重要なキーワードとして出ていた。
即ち、「一は全、全は一」「全は世界、一は俺」(笑)
また、動物にも魂があるという前提で話をしていることからもやっぱり日本人が描いている漫画だなぁと思う。そして、それを何の疑問も抱かず納得している私たちも。
日本人って、当人たちが思っているよりずっと信仰ありますよ。ただ、生活に溶け込んでしまっていて教義もないし禁止されてることもないから意識しないだけ。
無知ゆえに無宗教ですとか言ってるのを見ると笑っちゃう。私も大して知ってるわけじゃないけどね。
これ、一神教の人に見せたらどんな感想を抱くんだろう。すごく気になる。